インターネット技術の進展に伴う副作用で「情報氾濫社会」が形成されたことにより、必要かつ正確な情報を探し出していくことが、却って困難になっている。キュレートとは、情報を収集、整理、要約していくことであり、科学情報についての正しい読み方が求められている。
インターネットによる情報拡散技術により、その一次情報が捉えにくくなっている。加えて専門性のある科学情報では、その解釈による二次生産が誤解を生成し、益々、真理が見えにくくなる。
自然科学は、日に日に奥を深めていき、専門分野が異なると、たとえ研究者であっても理解するのは困難である。ましてや、自然科学を業としない一般の人々に理解してもらうためには、どうしても、何らかの解釈、キュレーションが伴う。でもそれは科学を理解したことには到底ならないのである。
科学に入り込む思想。科学の名をかりた活動。科学の議論は考え方ではない。事実に基づく議論から導かれる原理・理論。たとえば、地球温暖化予測については、これは予測であることだ。生物は進化してきたとダーウィンが言ったとしても、誰ひとり、その場において進化を目撃したわけでない。科学には実験で検証できないような事象を扱うことも少なくない。そういった目がますます必要になっている。
ここ半世紀で、遺伝子技術のおかげで大きく進展した医学。健康に直接かかわる領域であるがゆえ、正確なことをつたえていかなくてはならないが、実はわかっていないことの方が多い。そのため、コンセンサスの得られていない医学が、さも「あなたがこれを知ったから大丈夫」といわんばかりの治療法、薬、食品が巷にあふれている。誰も止められないのだろう。多くの人に受け入れられる正しい医学は、その解明に、まだもう少しかかりそうだ。
学術分野の抱える科学不正。一次情報としても根幹を揺るがすものであるが、逆に、如何にうまく科学情報を選別していくスキルが研究者だけでなく、一般の人にも求められる。有名科学雑誌への妄信が科学と技術の進展を大いに妨げる。怪しい論文の山をどのように見極めるか。
次世代を育てる科学教育において、これをこうすれば、という明確な使用はない。しかし、そのためのセンスを養う方法はいくつかある。技術でもあるが、考え方でもあるので、それは科学的知識がなくても可能である。疑う科学情報とはどういったものか、ということである。
長年の科学研究と教育の経験をもとに、新時代への新たなチャレンジをしていきます。
井口 和明
薬学博士・薬剤師・スポーツファーマシスト・AEAJアロマアドバイザー
名古屋市出身、静岡薬科大学博士課程修了、静岡県立大学講師退職、静岡県立大学食品栄養科学部客員研究員、ライフサイエンス教育研究会主宰